昭和記念公園散策

 公園の自然には、宇宙における「再生の原理」、「共生の原理」が至る所に溢れている。

令和初の新年を迎えるにあたって  (令和2年1月25日更新)

  •  今年は干支では庚子の年です。庚子(かのえね)は、植物では変化が生まれる状態、新たな生命が始まる状態と言われています。新しいことにチャレンジする年でもあります。60年に一度やってくる今年の庚子は21世紀最初の庚子になります。
  • それにしても、昨年の日本列島は世界でも希なほど自然災害が多発した地域でした。短期間に訪れた3つの台風によって、風や雨の影響を受け、関東平野や東北地方では、大きな被害を被りました。災害からの復興に多くの人々が未だに苦労している状態が続いています。新年を楽しく迎える余裕のない人も多いことてでしょう。
  • 日本列島は背骨に当たる列島中央ラインに高い山脈が連なり、海洋までの距離の短い河川は急勾配になっています。曲がりを繰り返しても川の流れは比較的速く、しかも、多くの支流が一つの大きな河川に途中で注ぎ込む複雑な形状をしています。支流から本流への流れ込みも、必ずしも安定している状態ではなく、本流の流れが、支流を遮る現象が発生することもあり、支流では堰き止められた水をさばくことができず堤防を決壊させる災害が発生しています。さらに、決壊した支流の堤防に向かって本流の流れが追い打ちをかけて、大きな被害を発生させることになります。
  •  川の周辺は、昔から川に沿って街道があり、交通量が多く、開けているところが多いのが特徴です。川の近くまで住宅のあるケースも多く、浸水家屋を多発させ、家屋全体が浸水することにもなります。最近のそれらの災害の状況は、規模的にも尋常なのものではないようです。そうような災害が、西日本でも発生し、東日本でも発生しました。これらの災害も地球温暖化の影響とは無関係ではないでしょう。
  •  自然界の生き物は、水鳥も花も樹木も、気象条件の変化に対応して住む場所を変えたり、咲き誇るタイミングを調整したり、咲く期間を変化させたり、災害時には災害と闘いながら、自然界の原理に適切に対応しながら生の営みを繰り返しています。「再生の原理」や、「共生の原理」に基づく、素晴らしい調和を自然との間で保ちながら活動しているようです。
  •  公園を訪れていると、人間も、他の生き物と同様に、この基本原理のもとに生活しているのだということを実感させられます。常に、危険と向き合いながら、それらを乗り越える努力を繰り返して対応していく必要性が求められています。被害はできるだけ少ない方がよい。可能ならばないのが最もよい。しかし、そのためには日常的な適切な対応が必要になるのではないでしょうか。そのような努力と人間らしい研究、検討が、日本の社会で日々行われているのでしょうか。疑問を感じます。
  •  昨年、平成から令和に変わって最初の内閣改造が行われました。平成末期の国内外の不安定な政治状況から考えると実力のある若い新しい人材が登用され、未来に向かった社会改革の新しい動きが始まる期待を抱いてみましたが、改造結果をみてがっかりしました。今までと全く変わらない、老害が充満している人材の集まりであり、安倍一族の集合のような仲間の集いで、令和への改元による新しい期待感が薄れてしまいました。これが日本の現在の実力かと気づくとなんとも言えない寂しさを感じます。
  •  内閣改造早々に、2人の閣僚が辞任し、文部科学省は大学入試改革で行き詰まり、首相周辺では、秋になって「桜を見る会」の狂い咲きという問題を発生させ、公職選挙法に抵触する可能性すら噂されるほどの状態になりました。追求する野党に対して、防戦する与党は、国民の知る権利をも意識することができず、民主主義社会の本質を理解することもできない、自己欲のみが先行する惨めな醜態を曝け出してしまいました。首相在籍期間最長の話も、歴史的に最悪の総理という汚名に変わろうとしています。私人である夫人を含めた安倍夫妻の国民に対して犯した罪について大いに糾弾する必要を感じるようになりました。現在の日本では、国会にも、司法にも、その能力があるかどうかが疑問です。行政、立法、司法の3権を主軸とする日本の民主主義はどこに行ってしまったのでしょうか。日本の民主主義は崩壊しようとしています。日本の政治も、民主主義を展開できないアジア諸国と同じレベルになろうとしています。首相を始め、大臣や国会議員、与野党のリーダ達の言動や行動を見ていると情けない状態になっています。もはや、先進国と言えない状態になっているのではないでしょうか。これは大変な問題です。
  •  政界に劣らず財界もどうしようもない状態になっています。関電による原発マネー還流の問題です。福島原発の事故以降、事故の経営責任が裁判で問題になり未だにすっきりした解決が行われていない状況中で、長い期間にわたって行われていた原発に関連するお金の不正が表面化しました。話を聞けば聞くほど財界を蝕んでいる不正な金銭のやり取りに庶民は怒りを感じざるを得ません。どうして、これほどまでに社会に不正が蔓延してしまったのかと呆れ果てる現状です。
  •  年末になって、アベノミクスの成長戦略の一つとして、政府を中心に進められていたIR戦略でも、それを中心になって進めていた担当副大臣が贈収賄の問題で逮捕される事態が発生しました。成長戦略の陰に利権が絡み、戦略を実行する前にその中心的な関係者が収賄で逮捕されるなんて社会が乱れている証拠だと言わざるをえません。これらはすべて、日本の政財界が腐りきっている証だと言えます。
  •  昨年来の政財界の「もりかけ」をはじめとする不正事件に続いて、不正を不正とも感じなくなった最近の日本社会のリーダ達の「無感覚さ」に驚くばかりです。どうして、こんなに人心が乱れてしまったのでしょうか。どうして、このような常識的な思考の停止時代に突入してしまったのしょうか。国会の議論も深まらない。現実を見る能力もなく、真実を把握する能力もなく、真実を隠蔽する体質の蔓延、記録を残さない重要情報を破棄する行為の習慣化、古い知識と時代遅れの思考法、なれ合いの手法などを用いて、「新しい時代ができる」という錯覚に陥っている危険な状態が続いています。これらの現象は、政界のリーダである首相、財界のリーダである業界の長老達の「だらしなさ」がもたらした問題です。しかし、誰もその責任を感じて職を辞したり、腹を切ったりしていません。日本の武士道も地に落ちたものです。
  •  これでは、同じ失敗を繰り返すのみです。失敗を直視する能力の欠如した日本社会の現状が悲しくなってきます。この現象は日本歴史上においても、最悪の時代を象徴する事態になるでしょう。この責任は、安倍内閣、平成の自民党、平成の政治家、平成の社会のリーダ達にあります。当然、これを容認した国民の鈍感さにもその一因があります。令和の時代に改善されるのでしょうか。不可能だと考えられます。これだけの内容を考えても、現在の責任者や指導者は一人残らず退陣する必要があります。彼らに日本を任せても、絶対に改善できません。進歩どころか衰退の道を進むことになります。このことを国民はしっかり認識する必要があります。さもなければ、日本国は自然崩壊することでしょう。
  •  日本の国力はどんどん沈下しています。経済的にも、科学技術的にも、将来の基盤が大きく傾きつつあります。もはや先進国としての役割も果たせない状態になり、外交上も国境そのものが不安定化し、強化したはずの軍備力も十分に機能させることができなくなり、日本の国が歴史的にも消滅してしまう危険に晒されることになるでしょう。無力な政治家をはじめとする日本のリーダ達は、自力で改善できる能力を失ってしまっています。戦後構築された日本人らしい社会環境や生活文化も次第に停滞が進んでいます。生活のための資源もすべて海外に求めなければならない環境になり、20世紀に進んだ科学・技術も、もう進歩する力を失っています。民主主義は次第に崩壊し、多くの若者も国内で活動する夢を失い、生活の基盤を海外に求めるようになります。日本の国がじわじわ崩壊し始めているのです。
  •  地方の過疎化一段と進んでいます。少子高齢化が進み、過疎化が進むと、子育て環境、教育環境、働く環境、生活環境がどんどん悪化し、人はその地域からどんどん離れていきます。一層過疎化が進みます。台風15号に襲われた千葉県では多くの電柱、鉄塔が倒壊し、一時は全県が停電になる事態になりました。台風19号でも河川が決壊し多くの家屋が浸水し、崩壊した家もあります。鉄道や道路も崩れ、孤立した地方もあります。特に東北の地方で多くの被害を受けました。その後の復旧も手間取り、多くの人が日常生活に困る状況になっています。千葉県は首都圏の一部であり、東京都の隣県です。東京都はオリンピックの準備で騒いでいるのに、隣県の千葉県は台風の被害で苦しんでいます。このような被害がさらに東北の地方にも広がりました。これが日本の実情です。このような実情も、地方の過疎化現象やインフラへの対応の遅れと無縁ではないでしょう。一番大きな問題は社会の仕組みの改革に取り組めない「政治の不毛さ」、「政治家の見識のなさ」、「政治家の能力の欠如」にあります
  •  「国破れて、山河あり」の言葉通り、質の悪い政治家や社会の指導者達が混沌とした情勢に我々を導びこうとしても、安易な妥協はせずに、最後は己を信じて自ら研鑽に励み、日本を含めて世界のどこかに自分達の能力を生かせる道があることを信じ行動することが重要です。能力の劣る悪質な政治家、指導者に屈しない根性と頼にしない気力こそが最後に価値をもたらすものである信じます。
  •  その価値に夢を託して、庚子の年の、新しいチャレンジ向かって、頑張ることが重要です。