新型コロナウィルス 国内感染拡大

 中国の武漢を震源地として発症したコロナウイルスによる肺炎は、瞬く間に中国全土に広がり、世界に広がった。ヨーロッパのイタリア、スペイン、北米のアメリカを始め、中南米、アフリカにまで感染していった。日本でも、現地駐在員などの帰国処置などを含めて水際対策を実施したにも関わらず、それ以前に来日した観光客に伴ってウィルスが日本国内に潜入したり、その後、ヨーロッパからの帰国者などからの感染が原因で、国内での感染防止がままならない状態になり、一時は、医療崩壊の危機すら叫ばれるようになった。改めて、日常からのリスク管理の不十分さを感じる。

 日本では、横浜に寄港した大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の多数の乗船者が新型コロナウィルスに感染される事態が発生した。クルーズ船は横浜港を出港し、中国、ヴェトナム、台湾など東アジアの旅を終えた後、再び、横浜港に入港したときには、船内では検疫のために航海を差し止めしなければならない状態になっていた。多くの乗客は、一定期間船内に隔離され、ウイルス検査や健康観察が行われ、その期間に感染が確認されなかった乗客のみが下船を許され、日本人の場合は公的交通機関を利用して自宅に帰り、一定期間、自らの健康状態を観察する環境に置かれた。日本人以外の多くの乗客は国別に手配されたチャーター機を利用して自国に帰国した。

 しかし、クルーズ船の乗客の下船後に、国内の多くの場所で、コロナウイルスに感染される事態が散発的に発生し、学校の休校、民間企業の勤務状態の変更などの必要性が全国的に生じ、多くのイベントが中断される事態になった。しかも、クラスタ感染だけでなく、感染経路の追跡が不能となる事態が感染原因の7割を占めるようになり、市中感染が疑われるような状態になった。感染拡大防止のために実施したクルーズ船内の対策、下船後の国内での対策の内容にいくつかの疑念が生じる問題が生じた。感染症対策を前提に正しく対策が実施されたのであろうか。疑念が生じた。

感染症への即戦対応力

 戦争と感染症は人類の歴史を左右する大きな話題であり、感染症の歴史は生物の出現とその進化の歴史とともにあるとも言われている。これまでも、感染症は民族や文化の接触と交流、世界の拡大、一体化などの現象の発生に伴って世界に流行してきた。

 人類の感染症への対応も、光学顕微鏡の発明などにより、多くの病原菌が発見され、それぞれに対策が実施された結果、地球上から消滅されたり、制圧されたりしており、種々のワクチンも開発されてきている。ペスト、天然痘、コレラなどの感染症の歴史が物語っているように、人類が生存していくためには、感染症への対応は無視できない課題の一つであり、日本でも、50年ほど前までは渡航先によっては予防注射が必ず求められた。

 世界経済の進展とともに生活の豊かさが増し、最近では、このような制約も解除され、比較的、安易に渡航できる環境になっていた。この環境で、突然、コロナウィルスによって、虚を突かれた感じである。政府の対応も適切に行われていたとは言えない。このような事態に対応できる能力が、個人からも、組織からも欠如してしまっていた。リスク対応能力がなくなってしまっていたのだ。しかも、このようなリスクに対する日常的な対応能力の欠如から、リスク発生時の処置法や社会保険システムも確立されておらず、個人も組織も予防対策を即実施できない状態になっていた。戦後の豊かさに酔っていた人類に課せられた一つの問題かも知れない。

民主主義崩壊の危機

 昨年来の政財界の「もりかけ」をはじめとする不正事件に続いて、原発に関連する贈収賄騒動、IR贈収賄騒動、選挙法違反騒動、桜を見る会騒動、検事長定年延長問題など、社会の常識で考えると不正と思われることが、「正しくない」と感じられなくなってしまった最近の日本社会のリーダ達の「無感覚さ」に驚く騒動や問題が多発した。さらに、それらの問題に対して、多くの国民が無感覚になっている。どうして、こんなに人心が乱れてしまったのか。どうして、このような思考の停止時代に突入してしまったのか。理解できない事態が次から次に発生している。

 国会の議論も深まらない。現実を見る能力もなく、真実を把握する能力もなく、真実を隠蔽する体質の蔓延、記録を残さない重要情報を破棄する行為、論理的でない説明、虚偽の説明などの習慣化が蔓延し、 古い知識と時代遅れの思考法、なれ合いの手法などを用いて、「新しい時代に対応していける」という錯覚に陥っている危険な状態が続いている。これらの現象は、政界のリーダである首相、財界のリーダである業界の長老達の「だらしなさ」がもたらした問題である。しかも、誰もその責任を感じて職を辞したり、腹を切ったりしていない。日本の武士道も地に落ちたものだ。庶民までもがこれらの問題に無感覚になってしまっている。このような時代に、戦争や感染症の危機が襲いかかってくるのである。新型コロナウイルス問題の発生によって、世界は歴史的な危機の時代に突入しようとしている。

 その予兆は、日本社会でも、ここ数年来の出来事の中にもすでに起きていた。本来、疑念を抱くような事態が発生しても、その真実を追究する態度を忘れて、その疑念の内容をごまかす説明を繰り返すだけの行動を行っていると社会の質が劣化し、そこにウイルスが攻め込んでくるのだ。過去に起きた感染症の問題もすべてその類いである。しかも、その原因をつくるのは社会のリーダ達であり、庶民ではない。予兆の発生に、社会のリーダ達も国民も気づかない時間が一定時間経過すると、危機が現実化する。現在の危機はコロナウイルスである。

 庶民は生活の自由を奪われ、制約の中でもがく状態が続く。中には死に至る人も現れる。これも今までの小さな失敗の重大さに気づかなかったからであり、失敗を直視する能力を欠如し、改善する努力を怠った結果である。この現象は、日本歴史上においても、世界の歴史上においても、最悪の時代を象徴する一つの事態になるであろう。日本社会でのこの責任は、安倍内閣、平成の自民党、平成の政治家、平成の社会のリーダ達にある。当然、これを容認した国民の鈍感さにもその一因がある。短期間に改善される問題ではなくなりつつある。現在、取り得る最善の対策はリーダの人心の刷新でだ。民主主義社会のリーダの任期は一定期間に限定されている。通常は2期8年程度である。安倍内閣で2期を3期に改悪し、さらに4選すら主張する輩がいる。とんでもないことだ。これでは社会を混乱に導く。このことを国民はしっかり認識する必要がある。新型コロナウイルス問題は我々にそのことを教えてくれているのである。それに正しく対応できなければ、日本社会は崩壊していくことであろう。

国難到来の認識

 平成以降の日本の国力はどんどん沈下している。経済的にも、科学技術的にも、将来の基盤が大きく傾きつつある。もはや先進国としての役割も果たせない状態になり、外交上も国境そのものが不安定化し、強化したはずの軍備力も十分に機能させることができなくなり、日本の国が歴史的にも消滅してしまう危険に晒らされている。無力な政治家をはじめとする日本のリーダ達は、自力で改善できる能力を失ってしまっている。戦後構築された日本人らしい社会環境や生活文化も次第に停滞が進んでいる。生活のための資源もすべて海外に求めなければならない環境になり、20世紀に進んだ科学・技術も、もう進歩する力を失っている。民主主義は次第に崩壊し、多くの若者も国内で活動する夢を失い、生活の基盤を海外に求めるようになる。日本の国がじわじわ崩壊し始めているのだ。

 地方の過疎化も 一段と進んでいる。少子高齢化が進み、過疎化が進むと、子育て環境、教育環境、働く環境、生活環境がどんどん悪化し、人はその地域からどんどん離れていく。一層過疎化が進む。台風15号に襲われた千葉県では多くの電柱、鉄塔が倒壊し、一時は全県が停電になる事態になった。台風19号でも河川が決壊し多くの家屋が浸水し、崩壊した家もある。鉄道や道路も崩れ、孤立した地方もある。特に東北の地方で多くの被害を受けた。その後の復旧も手間取り、多くの人が日常生活に困る状態になった。千葉県は首都圏の一部であり、東京都の隣県である。東京都はオリンピックの準備で騒いでいるのに、隣県の千葉県は台風の被害で苦しんでいる。このような被害がさらに東北の地方にも広がった。これが日本の実情である。このような実情も、地方の過疎化現象やインフラへの対応の遅れと無縁ではないであろう。一番大きな問題は社会の仕組みの改革に取り組めない「政治の不毛さ」、「政治家の見識のなさ」、「政治家の能力の欠如」にある。地方再生も、オリンピックも、コロナウイルス危機とともに崩壊寸前に追い込まれている。まさに「国難の到来」だ。

 「国破れて、山河あり」の言葉通り、質の悪い政治家や社会の指導者達が混沌とした情勢に我々を導びこうとしても、安易な妥協はせずに、最後は己を信じて自ら研鑽に励み、日本を含めて世界のどこかに自分達の能力を生かせる道があることを信じ行動することが重要だ。能力の劣る悪質な政治家、指導者に屈しない根性と頼にしない気力こそが最後に価値をもたらすものである信じる。その価値に夢を託して、庚子の年の、新しいチャレンジに向かって、頑張ることが重要である。

 

 下の画像をクリックすると「カイツブリ雛の訓練」の動画を視聴できる。孵化1週間後のカイツブリ雛の訓練状況を収録した動画である。