リーダシップ不足による民主主義社会崩壊の危機

 ここ数年来の政財界の「もりかけ」をはじめとする不正騒動に続いて、原発関連の贈収賄騒動、IR贈収賄騒動、選挙法違反騒動、桜を見る会騒動、検事長定年延長問題など、社会の常識で考えると不正と思われる騒動や問題が多発した。社会のリーダ達や政治家達の人心が乱れ、正常な思考が停止する時代に突入してしまった。その影響が一般社会にまで波及し、理解できない事態が次から次と発生した。

 国会の議論も深まらない。現実を見る能力もなく、真実を把握する能力もなく、真実を隠蔽する体質の蔓延、記録を残さない重要情報を破棄する行為、論理的でない説明、虚偽の説明などの習慣化が蔓延し、古ぼけた知識と時代遅れの思考法、なれ合いの手法などを用いて、「新しい時代に対応している」ような錯覚に陥っている危険な状態が続いた。

 これらの現象は、政界のリーダである首相、財界のリーダである業界の長老達の周辺で広がった、彼らの「だらしなさ」がもたらした問題であり、正しいリーダーシップの無さがもたらしたものである。しかも、誰もその責任を感じて職を辞したり、腹を切ったりした者がいない。100回以上も国会で虚偽説明を行ったことが発覚しても、部下からの報告がなかったの一言で、リーダとしての自分は知らなかったのは当たり前と言わんばかりの陳謝を行っただけである。リーダとしての責任をとらず、部下を処分して平然としている。このような暗黒の時代に、世界的な戦争や感染症の危機が襲いかかってくる。新型コロナウイルス問題の発生も、世界が歴史的に危険な時代に突入してしまった現象を示している。

 その予兆は、日本社会でも、ここ数年来の出来事の中にもすでに起きていた。本来、疑念を抱くような事態が発生しても、その真実を追究する行為を忘れて、その疑念の内容をごまかす説明を繰り返すだけの行動を行っていたために、社会の質が劣化し、そこにウイルスが攻め込んできて社会的混乱を発生させた。社会の質的劣化が発生する原因の多くは、社会のリーダ達の劣化によるものであり、庶民が発生させるものではない。誤ったリーダーシップの影響と予兆の発生に、リーダ達も国民も気づかない時間が一定時間経過すると、危機が現実化する。これがコロナ危機である。

 庶民は生活の自由を奪われ、制約の中でもがく状態が続く。中には死に至る人も現れる。これも今までの小さな失敗の重大さに気づかなかったからであり、失敗を直視する能力が欠如し、改善する努力を怠った結果である。この現象は、日本の歴史上においても、世界の歴史上においても、最悪の時代を象徴する一つの事件になるであろう。日本社会でのこの責任は、安倍・菅内閣、平成の自民党、平成の政治家、平成の社会のリーダ達にある。当然、これを容認した国民の鈍感さにもその一因がある。短期間に改善される問題ではなくなっている。現在、取り得る最善の対策はリーダ達の人心の刷新だ。民主主義社会のリーダの任期は一定期間に限定されている。通常は2期8年程度である。安倍内閣で2期を3期に改悪した。そのために社会に混乱を導くきっかけをつくった。これらのことを国民はしっかり認識する必要がある。民主主義の原則を誤ったのである。新型コロナウイルス問題は我々にそのことを教えてくれている。それに正しく対応できなければ、日本の民主主義社会や豊かで安心できる生活環境が崩壊していくことになるであろう。


国難到来の認識

 平成以降の日本の国力はどんどん沈下している。経済的にも、科学技術的にも、将来の基盤が大きく傾いた。もはや先進国としての役割も果たせない状態になり、外交上も国境そのものが不安定化し、強化したはずの軍備力も十分に機能させることができなくなり、日本の国が歴史的にも消滅してしまう危険に晒らされている。無力な政治家をはじめとする日本のリーダ達は、自力で改善できる能力を失ってしまっている。戦後構築された日本人らしい社会環境や生活文化も次第に停滞が進んでいる。生活のための資源もすべて海外に求めなければならない環境になり、20世紀に進んだ科学・技術も、もう進歩する力を失っている。民主主義は次第に崩壊し、多くの若者も国内で活動する夢を失い、生活の基盤を海外に求めるようになる。日本の国がじわじわ崩壊し始めているのだ。

 地方の過疎化も 一段と進んでいる。少子高齢化が進み、過疎化が進むと、子育て環境、教育環境、働く環境、生活環境がどんどん悪化し、人はその地域からどんどん離れていく。一層過疎化が進む。台風15号に襲われた千葉県では多くの電柱、鉄塔が倒壊し、一時は全県が停電になる事態になった。台風19号でも河川が決壊し多くの家屋が浸水し、崩壊した家もある。鉄道や道路も崩れ、孤立した地方もある。特に東北の地方で多くの被害を受けた。その後の復旧も手間取り、多くの人が日常生活に困る状態になった。

 千葉県は首都圏の一部であり、東京都の隣県である。東京都はオリンピックの準備で騒いでいるのに、隣県の千葉県は台風の被害で苦しんでいる。このような被害がさらに東北の地方にも広がった。これが日本の実情である。このような実情も、地方の過疎化現象やインフラへの対応の遅れと無縁ではないであろう。一番大きな問題は社会の仕組みの改革に取り組めない「政治の不毛さ」、「政治家の見識のなさ」、「政治家の能力の欠如」にある。地方再生も、オリンピックも、コロナウイルス危機とともに崩壊寸前に追い込まれている。まさに「国難の到来」だ。

 

中国の隣国日本の過疎化への懸念

 日本の国力が低下し、国内では地方の過疎化が進んでいる。世界やアジアにおける日本の立つ位置は、これからどうなっていくのだろうか。日本国民はそのことに疑問を感じ、これからの自分たちの方向を見定め、行動を起こさねばならなくなってきている。国際的な日本の環境は発展している中国の隣国である。中国の経済は、このコロナ危機でも感染拡大を短期に沈静化させ、世界の先進国が混迷状態を続けている中でも、単独で成長を進めようとする行動を始めている。日本は、「コロナ危機がどんな状態でもオリンピックを成功させる」という空元気だけを発している。成功のための科学的根拠も乏しく、感染拡大もままならない状態の中で、頼みの綱のワクチン供給も不安要素が増している。現在、日本社会にあるものは第二次世界大戦前の「竹槍的な空元気」だけである。このような寂しい状態が続いている。

 昭和の末期には、中国は、開発途上国の状態を脱出するために、日本に経済協力を求め、日本も鉄鋼業をはじめとする多くの産業分野で積極的に協力し技術指導を進めた。その過程で、グローバルジェーションの名の下に、中国の大きな市場の活用や中国の労働力の活用を進めるために、日本や米国の資本を中国に積極的に投入し、世界の工場とする計画が進められた。その結果、日本では国内生産力が低下し、必要な工業製品を中国からの輸入に頼らなければならない状態にしてしまった。日本国内は物造りの生産環境を失い、労働者は雇用環境の悪化と付加価値の低いサービス産業への転職を余儀なくされる状態になった。日本や米国の中国への投資は、日本や米国の労働者の働く環境を悪化させ、中国の労働環境を向上させ、多くの富を中国にもたらしてしまった。日本の国民は次第に貧しくなった。

 平成の時代に入り、中国は豊かになり、隣国の日本は次第に貧しくなる社会状態が造られていった。東京都の隣県の千葉県が過疎化する状態が進んでいくのと同じような社会環境の変化を中国と日本の間に造ってしまった。中国は独裁国家であり、14億の国民を統治するためには国内的にも権力の強化が不可欠であり、同時に国際的な国力の強化も求められることから、経済成長とともに軍備力の強化を始めるようになった。隣国の軍備の強化は日本にとつては脅威である。隣国の経済成長のために世界的な経済条件の観点から進めた日本の技術指導の結果が、相手国の軍事力の強化で自国を苦しめる条件になると考えもしなかった事態か発生した。

 また、中国市場の利用と安価な労働力の使用によって、日本の企業は利益を得る結果となり、サプライチェーンの変化や円安の進行によって、日本企業は国内業績が向上し、内部留保を高めていった。逆に、日本国内の労働者は製造分野からサービス分野への労働人口の移動を余儀なくされた結果、労働の質の低下と収入減が生じることになる。不安定労働の増加によって、雇用率は高くなっても雇用が安定しない派遣や不定期労働者が増加し、工業製品や消費財の輸入による物価の高値と合わせて、労働者の生活条件の不安定化が進み、生活環境も次第に貧しさを増すようになっていった。

 現在の日本の政府のように、場当たり的な政策の推進と国民の人気取り的な政策の実行では、やがて日本は中国の過疎地域となってしまう。中国は政治と経済を一体化し国力の強化を進めているのに、日本は政治と経済の分離を当たり前のごとく考えて、日本企業は中国に活動の母体を設け、企業としての利益を上げても、国としての富は中国の労働者が得た収入分は日本の労働者には減収分となり、中国は豊かになるが日本は貧しくなる現象を発生させることになる。更に、日本の今後の人口の減少を考えると、中国と日本の格差が一層大きくなっていくことになる。

 昭和の時代は日本は豊かで中国は貧しい国であったが、令和の時代には、逆転し、中国は豊かに日本は貧しい国となり、次第に過疎化していくことになる。平成30年の期間中に、中国に移転した労働者の収入減を上回る新たな労働者の収入増を企画し創造できていれば、この現象を防ぐことができた筈だがそれを怠った。科学と技術を活用する対策を怠り、株式などの金融対策に期待した「小金持ちの成金根性」が日本の政策的失敗を導いた。資源の豊かなアメリカを真似て行った金融政策は、資源が乏しく、財産である科学技術の活用や国民の勤勉性を生かす日本の特徴を破壊した。

 自分たちの祖国が過疎化し、滅びることを黙って眺めている国民などは、どの国にもいない筈だ。日本の国民とても同じである。政界や財界の指導者が日本国民のためにならない行動を行う場合には、国民はそれを阻止し、国民のためになる方向に進路変更させる必要がある。その相手が首相や政府関係者の場合には、選挙を利用して国民のためになる有能な人材を選出する必要が生じる。もし国民に選ばれる政党がそれに値しないならば選挙で選ぶ政党を適正な政党に選出し直す必要が生じる。それに対して国民が適切な見方や行動をとればよい。例えば、現在の菅内閣が不適切であれば、それを選んだ自民党を否定すればよいのだ。2020年にアメリカで行われた大統領選挙では共和党のトランプ氏が落選し、民主党のバイデン氏が選出された。アメリカには新しい変革の芽が国民によって生まれた。

 同じように、国民が首相として最も適切な人材がいる政党を選ぶことができると、国民が適切と考えている首相が選出可能になる。もし、首相に適切な人材もいない、政党自身も自分たちの中から適切なリーダを選べないとすると、この国の将来を期待することができなくなる。現在の与党がそのような状態ならば、一度、与党を否定して、別の党か党の連合体を選出すればよい。国民が無関心であったり、国民の発信が少ないと政治家は国民を甘く見るようになり、国民が適切に選出する言動や行動を行うと、それに対応できる優秀なリーダやグループが現れる筈だ。それが日本国だ。

 「国破れて、山河あり」の言葉通り、質の悪い政治家や社会の指導者達が混沌とした情勢に我々を導びこうとしても、安易な妥協はせずに、最後は己を信じて自ら研鑽に励み、日本を含めて世界のどこかに自分達の能力を生かせる道があることを信じ行動することがまず重要だ。能力の劣る悪質な政治家、指導者に屈しない根性と頼にしない気力こそが最後に価値をもたらすものである信じて行動する必要がある。現在の日本社会に求められているのは、一般庶民の声であり、この声の集まりが新しい日本の創世に必要な根源になる。質の悪い政治家や社会の指導者達を一刻も速く、現在の日本社会から駆逐し、昔からある日本社会の特徴と新しい時代の特徴が一体化した社会の構築を進める必要がある。